福岡伸一の生命の逆襲、やわらかな生命、動的平衡ダイアローグ、生物と無生物のあいだを 読んで、この人は一流のコラムニストだと思いました。 その風貌が表すように、本や昆虫が大好きだった少年時代から、興味のあることを探し求めて 調査することで、事柄を頭の中で繋ぎあわせてゆくような性質をもった人ですが、幅広い教養と ボキャブラリーが豊富で、独特の感性で情景や事柄を表現する力は今まで見たことがないような レベルでした。 京都大学で博士号を取得した後は、ロックフェラー大学やハーバード大学でポスドクとして働き、 今は青山学院大学で教授をしています。 朝日新聞では、やはり動的平衡というコラムを週一で連載していて、最初は驚くほど魅力的な 文章を書く人だな・・・と思っていました。 しかし、生物と無生物のあいだという本の冒頭に、ロックフェラー時代の野口英世を扱き下ろす ような行があります。 その中の一部分を抜粋したのが下記のようなものです。 ロックフェラー大学における評価は、日本のそれとはかなり異なる。(野口は)梅毒、ポリオ、 狂犬病、黄熱病の研究は当時こそ賞賛を受けたが、多くの結果は矛盾と混乱に満ちたモノだ。 むしろヘビー・ドリンカー、プレーボーイとして評判だった。数々の病原体を突き止めたと言うが、 今は間違った業績として全く返り見られていないというのだ。    パスツールやゴッホの業績は時の試練に耐えたが、野口の仕事はそうならなかった。数々の 病原体の正体を突き止めたという野口の主張のほとんどは、今では間違ったものとしてまったく 顧みられていない。彼の論文は、暗い図書館のカビ臭い書庫のどこか一隅に、歴史の澱と 化して沈み、ほこりのかぶる胸像とともに完全に忘れ去られたものとなった。 野口の研究は単なる錯誤だったのか、あるいは故意に研究データを捏造したものなのか、 はたまた自己欺瞞によって何が本当なのか見極められなくなった果てのものなのか、それは 今となっては確かめるすべがない。けれども彼が、どこの馬の骨ともしれぬ自分を拾ってくれた 畏敬すべき師フレクスナーの恩義と期待に対し、過剰に反応するとともに、自分を冷遇した 日本のアカデミズムを見返してやりたいという過大な気負いに常にさいなまれていたことは 間違いないはずだ。その意味では彼は典型的な日本人であり続けたといえるのである。 野口像を破天荒な生身の姿として描きなおした評伝に『遠き落日』(渡辺淳一、角川書店、 一九七九)がある。ここで野口は、結婚詐欺まがいの行為を繰り返し、許嫁や彼の支援者を 裏切り続けた、ある意味で生活破綻者としてそのダイナミズムが活写されている。ところが、 このような再評価は日本では勢いを持つことなく、いまだにステレオタイプな偉人伝像が半ば 神話化されている。これがとうとう大手を振って、お札の肖像画にまで祭り上げられるという のは考えてみればとても奇妙なことである。 さて、ただひとつ、もし公平のためにいうことがあるとすれば、それは当時、野口は見えようの ないものを見ていたのだ、ということがある。狂犬病や黄熱病の病原体は当時まだその存在が 知られていなかったウイルスによるものだったのだ。自分を受け入れなかった日本への憎悪と、 逃避先米国での野心の熱が、野口の内部で建設的な焦点を結ぶことがついになかったように、 ウイルスはあまりにも微小すぎて、彼の使っていた顕微鏡の視野の中に実像を結ぶことは なかったのである。 最初、これを読んだ時には完全に野口英世を誤解してしまいました。 日本の若者の教育にも携わる大学教授が、こういった誤解を生むような内容を自分の本の中に 書き入れるということはどういうことか・・・ 事実をそのまま書くにしろ、自書を引き立てるようなつもりで書くにしろ、この影響は大きいと 思います。 黄熱病の病原ウイルスに関しては、エクアドルのグアヤキルで、現地の臨床医師がワイル病の 患者を黄熱病患者として扱い、その患者からレプトスピラを分離して、それを黄熱病の病原体 として発表してしまったようです。 でも、それを差っ引いても野口英世の輝かしい業績は、生命にかかわる危険を顧みず、病気で 苦しむ多くの人達のために、一人で成し遂げたものです。 以下は内閣府の発表資料 野口英世は、渡米後の1901年より研究を本格的に開始。創立まもないロックフェラー医学研究 所の有能な研究者として執筆した研究論文の数は極めて多く、約200編に達した。研究課題と して取り上げられた感染症の種類も多く、それぞれの病原体の究明、実験法の開発、免疫学、 ワクチン製造など広範囲にわたる。野口英世が、学術界におけるロックフェラー医学研究所の 名前を国際的に有名にしたといわれているほどである。 野口英世の主な研究業績は、下記の4つ。 (1) 脊髄癆や進行性麻痺が起こる梅毒末期患者の大脳に、梅毒病原体Treponema pallidumを 発見[1913年] (2) 梅毒スピロヘータの純粋培養に成功(但し、梅毒スピロヘータの培地による純粋培養は 追試に成功したものはいない。)[1911年] (3) オロヤ熱とペルー疣が同じバルトネラ症であることを発見(同一病原体Bartonella bacilliformisが赤血球に侵入する事実を確証)[1926年] (4) 黄熱病患者の血液より、レプトスピラ(Leptospira icteroides)の分離に成功(但し、 黄熱病病原体と特定したレプトスピラは、今日ではワイル氏病スピロヘータの病原体と同一で あることが示唆されている。野口英世の名前は、スピロヘータの分類学上、2項レプトスピラ・ ノグチとして残っている。)[1919年] 以上の学問的業績により、野口英世は、ノーベル 生理・医学賞の候補に3回指名を受けていた。 ロックフェラー医学研究所同僚のストークスがナイジェリアで黄熱病研究の途上、黄熱病に 感染、死亡したことに突き動かされ、その研究を引き継ぎ、ストークスの死を無駄にしないとの 思いから、野口英世はガーナに乗り込み黄熱病の病原体特定のための研究に没頭。自身も黄熱病 に感染、現地で死亡。同博士のアフリカへの貢献は、当時学界にはびこっていたヨーロッパ中心 主義やアフリカに対する偏見に挑戦し、現地主義という強い信念に裏付けられた勇気、そして アフリカの認知度を挙げるというグローバルな視点であったといえる。 当の本人は、ポスドク時代にグループで膵臓の細胞からインスリンが細胞膜に包まれて細胞外に 放出される際に関わっている膜タンパク質を突き止めたそうで・・・ それを合成できないノックアウトマウスもつくったけれど、健常と変わらないマウスに育って しまったそうで・・・ その結論は・・・生物は機械ではないので、タンパク質が一つくらい欠損しても、動的平衡に よってそれを補う機能があるだって(笑) 実験結果とは関係ないし、かなり強引で都合の良い考察じゃない?