父は一人っ子だった母の従兄妹で、養子縁組をして結婚することで家長となりました。 石油会社のサラリーマンだったので、交代勤務をしながら祖父が続けていたミカン栽培も 手伝い、精神的にも肉体的にも大変な思いをしながら僕らを育ててくれたのだと思います。 性格は温厚で、今まで一度も手を上げられたことがありません。 印象に残っているのは、僕が高校生の頃、何故かT字カミソリで口髭を剃ってあげることに なったのですが、横滑りガードがついていない髭剃りを力加減も分からず、初めて使った ものですから、案の定深々と突き刺さり目の前で血がダラダラと流れることになりました。 今の僕なら反射的に怒鳴り喚き手の一つも出しそうなものですが、そんな時も大丈夫だ・・・ と何事も無かったように絆創膏をはっていたような記憶があります。 そんな父が怒りを顕にした出来事は、今までに2回・・・その一つは、僕が反対を押し切って 実家から離れたところに家を建てたことでした。 幼いころは、祖父への反発もあってか?こんな家は捨ててもいいから、大きく羽ばたいて 自分の思うようにしろと言っていましたが、僕が結婚してからは、実家の新しい敷地に離れを 建てて一緒に暮らして欲しかったみたいです。 その狭さを理由にして、半ば強引に建築してしまった後は、落胆が大きかったみたいで夜に なって酒を飲むと母に零したり、僕らが遊びに行く度に何度も諭されたものでした。 結婚当初は、新居建築に賛成した義父の肩を持ったりしたものですから、父にしてみれば 情けない長男を育ててしまったと感じていたかもしれません。 しかし、最近になって、家長とその周囲の親族に対する父の考えが間違っていないことを やっと理解することが出来ました。退職後は実家に戻って家長を引き継ぐという約束を交わ してからは、お互い分かり合えることが出来たのかな? 肺がんと膵臓がんが見つかって、入院してから息を引き取るまでの間も、泣き言一つ言わず に周囲を気遣い堂々としたものでした。 同じような境遇に立った時、自分も同じような態度を取れるかどうか自信がありませんが、 自分の子供に対しては恥ずかしくないような父親で居られたら・・・と思います。